平野さんは、印刷学会出版部から出版された 『印刷雑誌』とその時代 –実況・印刷の近現代史– の編著者の一人。平野さんは、この編纂作業を通じ『印刷雑誌』に掲載されてきた図版を、時代の変遷と照らしながら見れたことが、とても勉強になったと話していました。
この本には、平野さんの文章も載っています。「カラー印刷の一世紀」と「印刷物の画質とトーンの関係についての一考察」です。
「カラー印刷の一世紀」は〈 木口木版 ~ 天然色写真 ~ ワンショットカメラ ~ ダイレクトスキャナ ~ RGBデータによる色域拡張 〉と、タテに歴史の時間軸・ヨコに広い技術をまとめようとした平野の著作。最後の色域拡張を執筆する際、ぼくにまで意見を聞いてきてくれたことを覚えています。
「カラー印刷の一世紀」という題名 は、平野さんと親交のあった石川英輔さんの著書「総天然色への一世紀」(青土社・1997年刊)に敬意を表し付けています。石川さんは江戸時代の生活史の研究で、テレビ出演もされていた方でしたが、ミカシステムという独自のカラー分解技術を作り上げ、ミカ製版を創設した写真製版のプロフェッショナルです。
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この本が出版された2007年には、平野さんは『印刷雑誌』で「写真と印刷の源流を訪ねて」という連載を始めています(2007年11月号~2008年8月号まで10回の連載)。
「カラー印刷の一世紀」は、印刷に軸足を置き、俯瞰的な見方でまとめています。一方、「写真と印刷の源流を訪ねて」で は、写真に軸足を置き、平野さんのライフワークである写真の中にじっくりと入り込むように書いています。内容的に重なるところは多いですが、それぞれ楽しい〈モノづくり〉の歴史になっています。
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実は、これらの著述の数年前に、多川精一さんが編集していた『紙魚の手帳』に、平野さんは寄稿をしていました。そして、この寄稿文が、「カラー印刷の一世紀」と「写真と印刷の源流を訪ねて」の元になっていました。『印刷雑誌』はグラフィックアーツ業界に広く読まれて、バックナンバーが保存されている図書館もあります。一方で、『紙魚の手帳』は、限られた人たちしか手に取ることがなかった冊子でした。そのため、ここで平野さんの寄稿された文章を公開いたします。ひとりでも多くの人に読んでもらうことは、平野武利さんと多川精一さんも望んでいたことでした。
- 23号(2003年11月10日発行):『FRONT』の表紙を撮ったワンショットカメラとは?
- 26号(2004年 5月10日発行):写真製版の歴史1(写真と印刷は双児の兄弟だった)
- 28号(2004年 9月10日発行):写真製版の歴史2(コロタイプは写真か はたまた印刷か)
- 32号(2005年 5月10日発行):写真製版の歴史3(石版-近代グラフィック印刷の始り)
- 33号(2005年 7月10日発行):写真製版の歴史4(印刷ではすべての諧調が〈・〉になる 網目スクリーンの発明)
- 34年(2005年 9月10日発行):写真製版の歴史5(続・印刷ではすべての諧調が〈・〉になる 網目スクリーンの発明)
- 35号(2005年11月10日発行):写真製版の歴史6(天然色印刷の始りー三色原色版)
- 37号(2006年 4月25日発行):写真製版の歴史7(オフセット印刷とHBプロセス)
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平野さんは、恵比寿の東京写真美術館が開館した1995年から2004年まで、〈湿板写真~古典技法のワークショップ〉の講師をしていました。この経験が『紙魚の手帳』の連載に結実したと思います。光村印刷の技術顧問の職を離れ、写真とゆっくり向き合い、楽しみながら蓄積した「知」の集積でした。
「写真製版の歴史7」の資料の一冊に、坂本恵一さんの『続・レタッチ技術手帖』が挙げられています。平野さんと坂本さんは接点は多くありませんでしたが、時間があればお二人の豊富なイメージが融合し、写真製版の歴史をさらに深く追求していたと思っています。この追及のバトンを引き継ぐため、このホームページを開設しています。
譲り受けたファイルには、その他にも〈ゼーマン画集(原色版)〉〈人工着色〉〈東郷カメラ〉〈三間印刷〉など、じっと見続けてきた平野さんの目が残されているようです。
平野さん、本当にありがとうございました。(2022年3月22日)