この写真は横浜で撮った一枚です。
ぼくの東京でのアパート暮らしが始まったばかりの頃でした。20代のぼくは、自分が育ってきたところをきちんと見てきただろうか?そんな思いを持つようになり、休みの日には故郷の横浜に、足を運ぶようになりました。
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実家で父と母とゆっくり話をし、寝る前に明日歩こうと考えていた道を、思い出しては想像していました。
実際に歩いたのは、丘の上にあった小学校までの道です。毎朝登校していた懐かしい道です。鎌倉街道を越え、大みそかの日におそばと肉団子を頼んでいたおそば屋の太田楼、いつも甘い匂いがただよっていた丸十パン屋、友だちの卵問屋さん、そしてドキドキする怖いところもありました。そこは庭に入ると空気銃で撃たれるぞと、友だちから脅された大地主の森と家とぼくたちは思っていました。
現在インターネットの地図でその辺りを見ると、ただ開けた道と公園が広がっているだけです。しかし子供時代のぼくにとっては、お店を通り過ぎるとうっそうとした森が続く道でした。
歩き出すと、あっという間に着いてしまう道で、それは箱庭の中を歩いているようでした。
しかし、20代のぼくが懐かしい小学校の坂道に差し掛かったとき、まぼろしのようなトタン屋根の小さなお店に気付きました。初めて見るお店です。
お店の奥をのぞくと、靴の修繕をしている老人がいました。
目が合いました。挨拶し、写真を撮る許可を頂きました。そして、こちらのお店がいつ頃からやっているのか伺いました。
静かな声で「30年近くかな」と話してくれました。エッと心の中で驚きました。写真を撮らせて頂いた頃のぼくは20代でしたので、30年前からであれば、ぼくが小学校に通っていた頃から、このお店はちゃんとあったお店だったのです。
ぼくは小さな頃から、手仕事を見るのが大好きでしたので、靴の修繕のお店を見落とすことは無いはずなので、ぼくは「まぼろしのお店」と、今でもそう思っています。
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今日も、この一枚の写真を眺めています。
老人の、遠くを見ている目が好きです。
ぼくが写真を撮り続けている間も、靴の修理を淡々としており、一度も顔を上げることがありませんでした。あの日、ぼくはお礼を伝えお店を出ました。今回あらためて眺めてみると、扇風機とストーブ、やかんとみかん箱、どれもあの小学生の頃を思い出させるものばかりです。
まぼろしのような小さな世界から、遠くを見つめている人になりたいと、ぼくはこの一枚の写真を見て思っています。(2024年1月)