司のマスターが照れるように話し出したのは、お店にぼくひとりしかいない時でした。
「テッチャン、俺の最初の仕事は浅草でタキシードに身を包んだドアボーイ」
「次にタクシーの運転手、そして上野で屋台をはじめたんだ」
「ある時、坂道で屋台を引いていると、屋台が急に軽く感じて振り返ると、押している女の人がいたのよ。それが今の奥さん。こんにゃろ(この野郎)」
「こんにゃろ」は、照れ隠しのマスターのいつもの口癖。作文を書いている今も、この声が聞こえてくるようです。
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料理の修行をさせてほしいと、司の厨房に入れてもらった友人がありました。
その友人から「司の煮込みの隠し味は、コンビーフだった」と聞いていました。
友人には話していませんが、マスターからは「テッチャンの友だちだから我慢したけどよ…」 手を合わせて謝りました。
ただマスターは、その友人が飲食業を本気で考えている人間ではないと見抜いていたようで、友人の気持ちが冷めるまでと我慢してくれました。
マスターの読みは当たり、その友人は数週間で厨房から離れていきました。
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ぼくは、友人が話すコンビーフよりさらに別の煮込みの隠し味を知っています。それは奥さんです。
マスターは、厨房からプイッといなくなることがよくありました。その間、煮込みの鍋を見守っていたのが奥さんでした。鍋をかき混ぜて味見もしていました。
この時の味付けが、本当の隠し味と思っています。「こんにゃろ」の味・・・
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ぼくも引っ越しをして中井を離れていきましたが、月に一度は司に通っていました。
時にお店で眠ってしまい、帰れなくなる時がありました。その時も、奥の座敷でゴロンとしているぼくに、布団を掛けてくれたのは奥さんでした。
しかし、突然お店がしまっている日が半年以上続きました。電話も通じません。それでも「しばらく休みます」の張り紙を信じて、定期的に通っていました。
そして半年後、司の赤ちょうちんに灯が点りました。
暖簾がとても重く感じましたが、思い切ってくぐりました。
「テッチャン、よく来てくれたな」と、マスターは大変喜んでくれました。
しかし焼き鳥の炭火は落ちていました。 煮込みの鍋はありましたので、いつものように煮込みを頼みました。(2023年11月)