7月に書いた「最近出会った二冊の本」の中で書きましたトロチェフさんについて、もう少し詳しく書いておきたいと思います。以下は、右の全集からの著者紹介からの引用です(青い文字の行)。
トロチェフ、コンスタンチン(キタノホシ)
1928年9月9日、ロシア貴族の両親のもと、兵庫県神戸市で生まれる。戦時中、軽井沢別荘にて発病、1945年5月23日栗生(くりう)楽泉園に入所。祖母が孫を一人で療養所に送るのをしのびず、ともに入所し、その養育にあたった。
1960年代に「英字毎日」に英文のエッセイを発表。日本語で書かれたものには詩のほかに、ロシア革命に関する論文や、ロシア語小説の翻訳がある。若い頃は翻訳で日本とロシアの橋になりたい、本当のロシアの姿を日本に伝えたいと願っていた。著書に『ぼくのロシア』(1967 昭森社)、『うたのあしあと』(1998 土曜美術社出版販売)。
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トロチェフさんの詩はこの2冊の詩集以外に、栗生楽生園合同詩集(1980年)『骨片文字』にも6編収められています(ハンセン病文学全集7 詩二)。
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トロチェフさんのその後を知りたいと思いました。
インターネットで調べていると、ある人のブログに
〝島根県の大学でロシア語を教えているロシア人の先生が会社にメールを送ってきた。「アメリカのボストンの修道院から悲しい知らせが届きました。コンスタンチン・トロチェフさんが肝臓がんで永眠されました。お墓は修道院の中になりますので、修道士はお世話をします。しかし草津にあるトロチェフさんのおばあさんとおばさんのお墓の世話をする人はもういないです。」(中略)あの優しい声を聞くことができなくなった。けがれのない清い魂のトロチェフさんのご冥福を祈る。(2006年1月28日)〟
トロチェフさんは2006年初めにお亡くなりになっていたようです。
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トロチェフさんの最初の詩集『ぼくのロシア』には、トロチェフさんのおかあさんとおばあさん、そしてご自身の写真が載っています。
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『ぼくのロシア』よりふたつの詩を引用させてもらいます。
言葉と言葉のつながりを最小限にしているせいでしょうか、言葉ひとつひとつが自立しているように感じました。
これらの詩を、〝100年200年先に受け入れられる日本語(文体・詩)〟と鶴見俊輔さんは話されています(「国立ハンセン病資料館研究紀要10号」講演記録。この時は詩集『うたのあしあと』の「雪だるま」を例にしていますが)。トロチェフさんの詩を繰り返し読むようになり、鶴見俊輔さんの感性の鋭さが少しずつわかってきました。(2023年10月)