ベランダから丹沢山塊が見えます。大山、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳と続き、手のひらにのせて見ると中指のように細長い山脈です。山歩きをしなくなった現在では、遠い山になってしまいました。ハンスさんの目になり、丹沢を夢中で歩き回っていた頃が懐かしく思い出されます。
ハンスさんの特徴は「天狗さん」と言われたりっぱな鼻です。しかし、ぼくは目がとても印象に残っています。それは、顔は笑っていても、笑っていない厳しい目でした。小中高校と、ぼくはいつも先生の目を気にして学校生活を送っていたため、目に表れる感情を読もうとしてしまいます。ハンスさんの写真を見ていると、口は笑っているのですが、目からは遠くを見ている冷たさを感じていました。
ハンスさんは1913年(大正2年)にチェコとの国境に近いドイツのドレスデンで生まれました。1934年(昭和9年)に来日しています。戦争へと向かう日本の中で、神学と哲学を修め、疎開先の広島では原爆の衝撃を身体に受けています。ぼくは望郷の念と、この暗い時代を生きてきた想いが目に表れていると思っていました。
しかし、敗戦後の焼け跡の中で学校を作ってきました。学校の朝礼では毎日のように朝礼台から、生徒を諫めていたようです(栄光学園の文集より)。それでも慈愛の気持ちが伝わっていましたので、たくさんの生徒たちから、『天狗さん』と慕われていました。
ハンスさんの目は遠くを見ているのでも、暗い過去を映し出しているのでもなく、神父としてまた教師としての父性が表れていることがわかってきました。それからはハンスさんの目として丹沢を歩くのではなく、ハンスさんがどこからか見てくれている、そう感じながら歩くようになりました。そして丹沢がとても愛おしい森に見えてきました。
ユーモアは、父親が子どもをあやす思いから出ているのでしょう。それを感じる写真を2枚お見せします。
2006年、92歳になったハンスさんは大船の学園から、練馬の上石神井にある神父さんの老人ホーム・イエズス会ロヨラハウスに入りました。ぼくの住む小金井から自転車で行けるところです。ぼくはうれしくなり、ハガキに「武蔵野にようこそ」と書きました。そして桜が咲く春の日に訪問し、はじめてお会いすることができました。