「今回はどこの山へ行ってきたの」そう聞いてくるのはお肉屋のモトキさん。リュックザックを背負っていると必ず聞いてきました。山に行った帰り、ぼくは必ずコロッケをモトキさんで4個買うことにしていました。
「丹沢です」そう答えると、「また丹沢かい。いつまでも飽きないね」この会話を、店先で繰り返していました。
肉のモトキさんは、武蔵小金井駅の南口にあった南一番街のお店でした。
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外を歩いていても聞こえてくる“カンカンカン”と中華鍋をお玉で叩く音は、中華娘娘(みんみん)です。仕事の帰りによく行きました。注文は奥さんが受け、ご主人は黙々とお玉と鍋を回し料理していました。
ぼくはお店が無くなるまで、ご主人の声を聞くことがありませんでした。今は鍋の音がご主人との会話だったと思っています。
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ぼくも仕事が忙しくなってきた時期であり、夜遅く駅に着くことが多くシャッターの閉まっているお店しか見なくなっていきました。お店のシャッターが次の日も開くものなのか、店じまいをしてしまったものなのか、それすら知らないまま、お店はひとつひとつ消えていきました。
今では南一番街の跡に、大きなビルが建ち並んでいます。
店が無くなってしばらくして、肉のモトキさんと、話す機会が偶然ありました。モトキさんのお店は、ご兄弟夫婦でやっていたようでした。そしてお店をやりながら二階で認知症のお母さんを看ながら、夜は二階に交代で泊まっていたと話してくれました。
モトキさんには、もっと聞きたいことがあったのですが、その話を聞いている内に聞けなくなってしまいました。それはお店でいつも売っていた、ポテトサラダの作り方でした。
コロッケは、山では食べられない揚げ物をガッツリと食べたく買っていましたが、一番食べたかったのはポテトサラダでした。
酸味の中に甘さがあり、しっとりやわらかく、やさしい味のポテトサラダでした。
モトキさんのお母さんを、お店で見たことはありません。しかし今は、この味はお母さんが作ったものと思っています。「母の味」この言葉が合うポテトサラダでした。
今でもこのポテトサラダの味を忘れられずにいます。(2023年9月)
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