7月15日の朝日新聞で、一つの小さな記事が目に留まりました。児童文学作家の那須田 稔さんの訃報です。

 10代の頃に読んだ「シラカバと少女」が蘇ってきました。

 挿し絵は鈴木義治さん。

実業之日本社 1965年刊
表紙はなぞの少女
美珠(ミンチョウ)

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右:印象に残る赤いお面の見返し
左:黒い三日月と星、樹の線が美しい

左:少年の目線の先は・・・
(後に義治さんが挿絵を描く
講談社の「赤毛のアン」シリーズ
にもつながる線)
右:空間をたっぷり使った見開き

左:大人の表情のミンチョウ
右:病で伏すミンチョウが部屋からあげた凧
それを見上げる仲間たち

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 2004年、48歳の時に鈴木義治さんにファンレターを書きました。生涯で初めて出すファンレターです。

 独学で勉強してきた絵本や児童文学を一度整理したいと考えるようになりました。その時、最初に浮かんだのが児童書に多くの挿絵と絵本を描いてきた鈴木義治さんでした。

 鈴木義治さんは大正2年(1913年)生まれでしたので、ご高齢であることはわかっていました。

 ファンレターを送った後、鈴木義治さんの挿絵の入った本を少しずつ集め始めました。

 当時立川の錦町にあった都立多摩図書館に休日の度に通い、鈴木義治さんの挿絵のある本を探しながら作品年譜を作っていきました。

 当時の多摩図書館は、都立図書館の児童書部門の図書館でもありました。そのため児童文学や絵本に関する研究書も開架に多数ある、貴重な図書館でした。

 年譜を作っていきますと、1980年代の後半まで児童書に挿絵を描いていたことはわかりましたが、その後のことを知ることはできずにいました。

 ぼくの頭の中には、鈴木義治さんの画集「山びこのメルヘン」(岩崎書店・1977年)のあとがきの言葉が強く残っていました。

 以下部分的引用です。

 この本のあとがきと言いましても、画を描くことだけでもう精一杯の私です。・・・

 山積みする勉強ががとうせんぼをして、棒立ちのそんな私に・・・〈中略〉・・・私の中のマグマは煮えたぎっても、なかなか沸騰しないもどかしさを・・・

 昆虫が成長する時のように、私もある時、ある地点で昨日の自分を脱ぎ捨て、脱皮をくりかえしますが・・・

 90歳を過ぎても、元気に絵を描き続けているものと思い込んでいました。

 しかし、ファンレターを送った年に出版された「新・こどもの本と読書の事典」(ポプラ社・2004年刊)で、2002年に89歳で既に亡くなっていたことを知りました。

 鈴木義治さんには届くことのなかったファンレターでした。(2023年9月)