昭和48年(1973年)に創刊された文芸誌に『詩とメルヘン』があります。特徴は本職の詩人だけでなく、無名の人やガリ版刷りや手描きの詩集から集めた詩に、プロのイラストレーターが絵をつけているところでした。また10歳から90歳の人にも読みやすいよう、広い余白に大きな活字のゆとりのある誌面も特徴でした。編集長はやなせたかしさん。
表紙に使われていたエンボスの紙の手触りが、今も手に残っています。
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この雑誌の製版を、印刷をする東京印書館から請けていたのが、ぼくが最初に入った製版所でした。工場には原稿サイズに合わせ3基の製版カメラがあり、ぼくは背が高かったこともあり、一番大判のカメラを任されていました。『詩とメルヘン』は、当時としては大判サイズの雑誌(A4)でしたので、原画はぼくの受け持つカメラで撮影することが多くありました。
原画と同時に割付(レイアウト指定紙)も入稿されます。そこにはすでに詩が貼ってありました。休憩時間に、この詩を読むことが好きでした。その時読んで印象に残った詩がありました。色の名前がたくさん書かれていた詩だったと思います。その詩には写真も一緒に紹介されており、その人は女性の視覚障がい者でした。
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働いていた製版所は、目白通りに面した雑司ヶ谷にあり、雨の日は目白駅からバスを使うことが多かったです。このバス停からは護国寺方面に行くバスもあり、護国寺には東京教育大学(現在の筑波大学)付属の盲学校がありました。
ある雨の日でした。バス停に行くと、見覚えのある女性がいました。『詩とメルヘン』の割付で読んだ詩の女性です。隣には中学生ぐらいの男性が肩を寄せ、1本の傘の中で待っていました。女性も制服であり、盲学校の先輩と後輩でした。
ぼくは、二人の後ろに並んでいました。見ると傘の後ろがオチョコになっており、背中が濡れています。声を掛けようか、手を出して傘を直した方がよいか迷っているうちに、バスが来て二人とも乗って行きました。その日から、この二人の後ろ姿がずっと目に残っていました。
そして、盲人の詩にイラストを付けて何になるのだろう、もっと盲人も一緒に楽しむことのできる印刷はできないのだろうかと考えるようになっていきました。
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ちょうどその頃、ラジオのチャリティー番組で、萩本欽一さんが盲人用立体コピー機の話をしていたのを聞きました。絵と点字が一体となった印刷物があることを知り、点字にも興味を持つようになっていきました。
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この立体コピーが現在どうなっているかを知りたい想いから、40年ぶりにコニカミノルタにメールで問い合わせをしたところ(2022年12月)、メールでの返信と電話がありました。
そして現在のコピー機でのサンプルも届きました。触感はより指にやさしくなり、〝五感NAVI〟というキャッチコピーもすてきで、視覚障がい者の人とのコミュニケーションとして多くの人に使ってほしいと思いました。(2023年1月)