めには『目』と『眼』と二種類の文字が使われています。『目』は瞼と眼球、目頭と目尻などを含めた顔を指す時に使われ、『眼』は眼球そのものを指す時に使われます。
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結婚式で今も朗読されることのある「祝婚歌」を作った吉野弘に、「モジリアニの眼」という詩があります。63歳の時の詩集『自然渋滞』(花神社・1989年)に収められています。
画家モジリアニが描く青く塗られた眼の絵を見て、吉野は「あの眼が欲しい」と書いています。
詩の中で、人は眼の瞳孔から入る光を眼球にある網膜で結像させ、その像を脳が自分の主観を織り交ぜて作っていると書いています。瞳孔を青い色で覆い、自分の脳に像が届かなければピュアな気持ちで像を見れる、そのように見たいと思い書いた詩でした。
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この眼で絵を見ることができれば、絵は美しい色彩の光となって瞳に映って見えるのかもしれません。
しかし、ぼくは仕事でたくさんの絵を見てきましたが、このような眼で絵を見ることはなかったようです。吉野が書いた「批評」する眼と同じ眼で絵を凝視し、脳の中で絵を解体し、印刷物になった時のことを考え、組み立てていくのが仕事でした。絵を見ると、眼と脳はすぐに直結し、絵と眼と脳の格闘が始まります。仕事以外で絵を見る時も、脳はこの動きを忘れず、絵の解体と組み立を繰り返し、体力を消耗していきます。
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それでも関わってきた印刷物を見ていると、写真や絵の中に自分の手作業の跡を発見し、心が癒される時があります(本来は、それを見せないようにするのが職人かもしれませんが)。
『The Servant Girl』(若いメイド)と題が付いた絵は、1957年にスイス人のアルベール・スキラ(リンク先は石川県にある美術専門古書店・月映書房様の解説)が出版した画集の1枚です。
この画集のカラー印刷部分は原色版です。1枚1枚本文に貼り付けられたカラー図版を見ていると、ぼくと同じように絵を凝視していたスイスの職人の姿が浮かび上ってきます。おそらく、原画ではなく他の画集を参考にその職人も色を調整したと思いますが、この職人はモジリアニの描いた青い眼に何を感じていたのでしょうか。(2022年12月)