横浜の町の思い出です。
小学生のぼくは、いつも人の家の中を覗いてみたいと思っていた子どもでした。当時近所に空き家があると仲間とぞろぞろと忍び込み、がらんとした部屋の中を探検して遊んでいました。屋根裏にも入り、蜘蛛の巣だらけになったこともあります。
そのなかで、深く印象に残っている三つの家があります。
・大岡川に停泊していた船の家
・小学校の裏山を削って現れた団地の家
・芝生の家
●大岡川に停泊していた船の家
小栗康平監督の映画『泥の川』の世界が、横浜の運河・大岡川にもありました。 艀(ハシケ)を生業とする水上生活者の家でした。
ぼくの家も大岡川の近くでしたので、船で生活している子どもたちとも、自然と遊ぶようになりました。そして一度だけ、船に親がいない時を見計らって、船の中を見せてくれたことがありました。
ユラユラと揺れる、仕切りの無い暗く不思議な船室でした。ドブ臭さに戸惑いながらも、間近に見る岸壁の石の大きさに驚きました。この船の家は、ぼくの目には秘密の隠れ家のようで、船内にいる間ずっと心がときめいていました。
現在大岡川は水質も改善され、運河クルーズも運航される桜の名所になっています。
●小学校の裏山を削って現れた団地の家
小学校は三度台(さんどのだい)という丘の上にありました。小学校に入って間もなく裏山が切り崩され、団地が作られていきました。
ちょうど京浜東北線が横浜の磯子まで延びた時で、この団地には東京で働く人が多く入ってきました。各学級に東京からの転校生が入ってきました。皆、地元の子たちとは雰囲気が違い、少し澄まして見えました。
ある日、団地の4階に住む転校してきた友達のところに遊びに行きました。ぼくの家と比べると、部屋が整然と区切られており、「子ども部屋」というものをはじめて見ました。
部屋の窓から見下ろすと、道を行き交う人は虫のように見え、真上から見る樹の形がおもしろく感じました。友達の学習机には時計やライト、電動式の鉛筆削りが組み込まれており、男の子が憧れる船の操舵室のように見えたことを覚えています。
そして、いつか団地に住んでみたいと思ったことがありました。(2022年10月)