『生きるって、楽しくって』ができたことを記念し、会費制の食事会が全生園の中にある施設で行われることになり、ぼくも招待されました。
全生園は、桜がとても美しく、現在は市民の憩いの森になっています。ただ、施設の中に入るのは初めてでした。
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この会は、本に関わった人たちへの片野田さんの感謝会でもありましたが、きみ江さんを励ます会でもあったように思います。全生園に暮らすきみ江さんの友だちも、参加していました。
片野田さんは、東村山の地酒を準備していました。一口飲んで、とてもおいしいと思ったのですが、順番に一言ずつ話すことになったようで、それが気になり飲むのをぐっと堪えていました。出版社の方が話し、デザイナーの方が話し・・・順番が近づいてきました。
ぼくは、片野田さんが希望していたモノクロームに印刷で再現できたかを聞いてみたいと考えたのですが、やはりきみ江さんと繋がる話題はないかと考えはじめ、少しのお酒だったにもかかわらず、頭がぐるぐる回ってきました。
その時、きみ江さんが着ていた吾亦紅のような赤紫色の服が目に入りました。そして、本に使った赤紫の花布(はなぎれ)と、その色を選んだ片野田さんの話しが咄嗟に思い浮かびました。うまく話ができたかわかりませんが、話しの途中で、きみ江さんと目が合いました。きみ江さんは何度も頷き、笑顔を返してくれました。
今年で、『生きるって、楽しくって』ができて10年が経ちます。文章を書きながら、きみ江さんはどうしているかが気になってしまい、全生園にあるハンセン病資料館を訪ねてみました。
資料館の方から「元気で暮らしています」と話を聞くことができ、つい「よかった」と声を上げてしまいました。
資料館では、患者と義肢装具士が一緒に考案した道具展が開催されていました。上映している映像には、きみ江さんが映し出されていました。考案した包丁で、柿の皮をむく姿を見ていると、ハラハラしてしまいましたが、赤紫の服を着て元気に話すきみ江さんは健在でした。
ぼくは赤紫色が好きになりました。(2022年10月)
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小野千世さんから・・・教室の帰りに、花布見本帳の62番の色と同じ吾亦紅(ワレモコウ)の小さな小野さん手製のペンダント(小さな化粧品のプラスチックにピンを付けたもの)をいただきまました。
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追記『定ときみ江』 記載は2023年5月
2023年3月に、資料館の展示室で行われた「いのちの芽」展を見学。展示室の隣にある図書室で『定ときみ江』(段 勲 著・九天社・2006年刊)を借りました。
読み始めると、きみ江さんの幼少時代から全生園への入所までを知ることになりました。
手の不自由なきみ江さんに対し、お母さんがきみ江さんに言った言葉です(以下文中より引用)。
「さあ、きみ江!この豚を見て見ろ!よく豚の食べ方を見ろ!腹が減れば手がなくても口でピチャピチャ食べているだろう!お前は手が悪くて箸が持てないのだから、生きていくにはこうして豚のように食べなくちゃだめなんだ!分かるか!今度からこうして食べろ!」
きみ江さんがハンセン病であることがまだわかっていない幼少期。この言葉を口にしなければならなかったお母さん、きみ江さんのことを考えると胸が締め付けられます。
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この本を書いた段 勲さんは、定さんときみ江さんの唯一の海外旅行で行った韓国に同行していました。
そこには、ハンセン病患者に対する韓国政府の取り組みが、日本よりはるかに前向きに施策を進めていたことが書かれていました。
貴重な本をお借りすることができました。
『定ときみ江』は、『生きるって、楽しくって』の花布のようなおしゃれではなく、見返しもスピンも強い紫で作られた本でした。(2023年5月)