一昨年お亡くなりになった、写真史家・金子隆一さん(1948年5月18日~2021年6月30日)の『日本は写真集の国である』(梓出版社 2021年5月28日刊)を読みました。
金子さんのお話は、〈コロタイプ技術の保存と印刷文化を考える会〉の 第23回研究会(2015年6月)で、直にお聴きしたことがありました。テーマは「法隆寺金堂壁画写真原板 ー 原板に込められた驚異の印刷術 ー」でした。 コロタイプ印刷について、熱弁されていたことを覚えています。
この本のある章に書かれたいた、〝ピカソやルノワールの「画集」と言われるものは、写真集である。言うまでもなく、オリジナルの作品を大型カメラで撮影した写真が元になっているからである。しかし、私たちは、それら絵画を写した写真を集めたものは、「写真集」と呼ばず「画集」と称している。風景や人物、出来事を写した写真と違って、「画集」に収められた写真には「写真」として認識する回路が見えない(以下略)〟この文章を読んだ時、不思議と納得した気持ちになりました。
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ぼくたちは写真を通して世界中の絵に接しています。
写真撮影を行ったフォトグラファーの気持ちは、意識する・しないに関わらず、画集のどこかに出ていると思います。それは画材の筆致を強調するためのライティングなどに・・・。これらのディテールが、時に原画の持っている力以上の表現力となり、ぼくたちの前に表われることもあるのではないでしょうか。(2023年4月)