平野さんは日本山岳会の会員でした。しかし、平野さんにとって山は登る対象というよりは、山頂からの展望を写真に収めるためにありました。

 61歳の時に自作したカメラで撮った写真集『山頂にて』(1993年刊)を出版しました。静寂な大気を背景に、山が美しい白黒写真でダブルトーンで印刷されています(赤外線フィルムで撮影)。

 自作カメラを携え最初に登ったのは、山ではなく池袋のサンシャイン60の屋上でした。

愛用されていた自作カメラ

 その後、高尾山や陣馬山など中央沿線の山を撮り続けていきました。三脚にカメラを取り付け、分度器で画角を測り360度の撮影をしていきました。

 山頂には人が多く集まっています。そのため、撮影の時にレンズの前に人が入らないよう、平野さんの奥様がレンズの前にいる人に話し掛けて、レンズの前からうまく誘導し、その間を見計らって撮影したと話していました。

 写真集の原稿は、フィルムの現像から印画紙への焼き付けまで、すべて自分で行いました。プリントに付いた小さなごみを墨でつぶす作業も、一枚に対して2時間掛けて行ったことを、うれしそうに話していました。 

 平野さんは、「人の目は本当にすごいよ」と、いつも話していました。写真に小さなゴミがひとつあると気付いた瞬間、目の前に広がっていた風景が、ただの平坦な写真というモノになってしまうと言っていました。

 平野さんは最後まで白黒写真による表現にこだわり続けました。白と黒が混じってできるグレーのトーン(光と影の調子)に、美しいと感じる何かがあると考えていました。そして、美しい写真集の秘密は、印刷の網点に隠されているはずと、平野さんは所かまわず、気になる印刷物をルーペで覗いていました。ぼくも、いつの間にかその習慣を引き継いでいました。

 山の展望を見渡すマクロの視点と、食い入るようにルーペで見るミクロの視点、その両方をいつも楽しんでいるようでした。

(2022年3月)

上:平野さんが大事にしていた新聞記事
下:山の大先輩・串田孫一さんと