ある人にはガラクタでも、ある人には宝のこともあります。平野さんは、お会いするたびに何かを持ってきて「チカシマさん、これ何かわかる?」と見せてくれました。平野さんが見せてくれたものは、壊れた機器の部品であっても、ぼくには宝物に見えました。平野さんは、ぼくが目を輝かせて見るのがうれしいらしく、「こいつは、同じ感性を持った仲間だ」と思ったに違いありません。
撮影したフィルムを現像液に浸すと、像が徐々に浮かび上がってくる不思議さは、現在のデジタルカメラでは味わうことのできないフィルム写真の楽しみです。
平野さんは、子どもの頃に路上で行われていたフィルム写真の見世物が、楽しかったことを幾度も話してくれました。それは暗箱にレンズが付いただけの、『東郷カメラ』というものでした。このカメラには、自分で現像するキットが付いており、フィルムに像が浮かび上るおもしろさを、実感できるものでした。この体験が、平野さんのその後の進路を決めたようです。
終戦の年に、千葉大学を卒業し、光村原色版印刷所で働き始めます。まだ焼け跡が多く残っている時代でしたが、写真の仕事に就けたことで、平野さんの気持ちはきっと明るかったと思います。
平野さんにとって、写真は光を写し取る技術であり、光をどのようにコントロールすれば、よい写真になるのか模索していました。その中で、光を感じる目のことも考えていくようになりました。
平野さんは、使わなくなった計器から『ベンハムのコマ』を作っています。このコマの名前は、19世紀のイギリスで玩具を作っていたベンハムさんから付けられています。
コマを回すと、白い紙に墨で描かれた図柄から、うっすら色が浮かんで見えてきます。当時の子どもたちは、それが不思議でした。色の無いところに色が生まれる不思議さを、自分の目で確認することができ、平野さんも喜んだことと思います。ぼくに、『ベンハムのコマ』のことを話した時の、平野さんの子どものような目を思い出します。(続く)
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下の写真は、左が東郷カメラの解説書(複製)、右が平野さんの著書『カメラワーク』(1968年・石井明治さんとの共著)です。両方に共通しているのはグラフが多いことです。
手前の計器は『関式露出計セノガイド』。ぼくはこのセノガイドをまだ使いこなすことができずにいます。
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文章を発表した後で、教室の皆さんの前で実際にベンハムのコマを回しました。教室を盛り立てるのも、新米生徒のぼくの役目と考えています。
小野千世先生も、新年最初の教室だったからでしょうか、美しい扇を使いながら、狂言と能の表現の違いを実演してくれました。
二日後、小野先生から「お正月の独楽回しは、みんなワイワイと童心に返りましたね!本当にありがとう!」のメールが届きました。ぼくはただベンハムのコマを回しただけでしたが、千世先生や皆さんには正月の縁起物としての独楽回しにも結び付いたのだと思います。(2022年1月)