スライドの後編です。
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鈴木義治さんは、原作の舞台となった地に足を運ぶことなく、原作から想像して描いていました。そして、兵役以外で横浜を離れることは無かったようです。また、鈴木義治さんは携わった作品から離れて発言することや文章を残していない、寡黙な人でした。
住んでいたのは横浜市磯子区杉田で、地元商店街の本屋さんから定期的に画集を購入していました。鈴木義治さんのところに本を届けていた本屋さんから話を伺ったことがあります。わずかなことしか聞くことはできませんでしたが、「大きい人ではありませんでした。いつも和服で、話をする時は少し唇をゆがめて、本を届けたお礼を言ってくれました。」このように話していました。
スライドで紹介した他に、足に包帯を巻いている男の子のタブローが二枚あります。一枚は右足に、もう一枚の絵は左足に包帯を巻いています。左足に包帯を巻いている絵は、額サイズで天地116センチあり、鈴木義治さんにはたいへん珍しく大きい絵です。二枚の絵の両方に蝶が描かれています。二枚とも油彩ではなく、ガッシュやポスターカラーで描かれています。
何を描きたかったのでしょう。ぼくには「子どもの悲しみ」という題が浮かんできます。テーマとは外れてしまいますが、この二枚の絵を見ていると、ムリーリョの絵を表紙に使った『子どもの涙』(徐京植 ソキョンシクさん)という本を思い出します。40歳を過ぎてから読みましたが、感銘を受けた本でした。(2021年12月)