以前から少しずつ集めてきた現代美術社の中学校の美術の教科書を見ていると、エーリッヒ・ケストナーの詩「最初の絶望」が二回にわたり使われていたことに気付きました。

 教科書に書かれている詩から紹介します。

      最初の絶望

小さい少年が往来を走って行った。

熱くにぎりしめた手に1マーク銀貨を持っていた。

もうおそい時刻だった。店の人たちは

横目でかべの時計をかぞえていた。

少年はいそいだ。はねながら、口ずさんだ。

「パン半分に、ベーコン四分の一ポンド。」

それは歌のように聞こえたが、とつぜん彼はだまった。

彼は手をあけてみた。お金がなくなっていた。

彼はたちどまって、くらがりに立っていた。

かざりまどのあかりがきえた。

星がきらきら光るのは、たしかに美しく見えるけれど、

お金がさがせるほど明るくはない。

いつまでも立ちどまっていようとでもするように、

彼は立っていた。こんなひとりぼっちだったことは、まだなかった。

よろい戸が、まどガラスの上でガラガラとおりた。

街燈がこっくりこっくりしはじめた。

少年はいくども両手をひらいてみた。

そしてゆっくりうらおもてをかえしてみた。

そこで、希望はすっかりなくなってしまった ……

彼はもうこぶしを開かなかった ……

父おやは食べるものをほしがっていた。

母おやはやつれた顔をしていた。

ふたりはじっと子どもの帰りを待った。

子どもはアパートのあき地に立っていた。両親はそれを知らなかった。

母おやはだんだん不安になった。

さがしに行って、とうとう子どもを見つけた。

子どもは、じゅうたんをほす鉄棒にじっともたれて、

小さな顔をかべにむけた。

母おやはおどろいて、どこにいたの? とたずねた。

すると、少年はわっと泣きだした。

少年の苦しみは母の愛より大きかった。

ふたりはしょんぼりうちにはいって行った。    (訳・高橋健二) 

                       ケストナー『人生処方箋詩集』より

 左は昭和58年(1983年)発行された教科書で、表紙の絵はこの教科書作りにも携わっていた安野光雅さんです。

 右は昭和62年(1987年)発行、表紙の絵はアンドリュー・ワイエスさんです。

 今回は、この詩とこの詩を読んで〝少年・少女〟がイメージした絵をゆっくり見ていきたいと思います。

 昭和58年の教科書では

 

 生徒の作品を拡大

 

昭和62年の教科書では

 生徒の作品を拡大

 

 この絵を描いた生徒たちは、今も絵を絵を描いているのでしょうか・・・

 悲しみをイメージすることはとても大切なことだと思います。しかし、美術の時間には生徒は負担に感じることはあったかもしれません。

 それでも、この教科書に載った絵からは悲しみが伝わってきます。

 この詩は、美智子様の1998年の第26回IBBY(国際児童図書評議会)の講演記録にも載っています。

 美智子様の講演に関しては、新見南吉の「でんでんむしのかなしみ」が広く知られていますが、ケストナーのこの詩も「絶望」という題で紹介されています。

 悲しみは、想像の、そして創造の大きな原動力なのかもしれません。

左のヒマワリが先生、右のダリアが母、
ぼくは左下の一番小さな蕾(つぼみ)

 最初の絶望は、誰にでもあるのではないでしょうか?

 小学校1年生のときのできごとでした。

 その日の夜、「テツオ、明日は先生の机にこの花を持って行くといいよ」と、母に言われたのを今も覚えています。

 それは、先生にたいへんな迷惑を掛け、自分も消えてしまいたいと思った〝最初の絶望〟でした。

 左の絵は、クライドルフの「花のメルヘン」の一枚です。60歳をとうに過ぎた今も、この絵の中に逃げてしまいたいくらい、当時を思い出すと〝最初の絶望〟は心の奥に残っています。

 それでも、絵の中に自分を置いてみることで、〝絶望〟は、客観的な「物語」に変化(昇華)できたようです。(2023年8月)