「コロタイプ」この言葉の響きが好きです。いつ頃から、コロタイプの版式を調べはじめたのか、はっきりとは覚えていません。しかし『日本コロタイプ印刷史』(1981年に全日本コロタイプ印刷組合より刊行されていた本は持っていました。この本を職場のある印刷機長に貸したことがあります。枚葉オフセット印刷の機長でしたが、印刷全般にたいへん興味を持っている人でした。印刷機の調整ようにと、わざわざ自分用の道具を携えている人でした。その人と一緒に仕事をしていたのが2000年(平成12年)頃でしたので、その前にこの本を持っていたことになります。

 当時のぼくは、商業オフセット印刷の製版と色管理が仕事でした。他の印刷版式に興味を持つきっかけは、通販カタログの色管理の仕事で、凹版印刷(グラビア印刷)の知識も必要になったからでした。調べていく中にコロタイプ印刷もあったと思います。もうひとつは、新しい技術として高精細印刷(従来の150線・175線より微細な網点での印刷・一般的には300線以上)が注目されはじめた時期でもあり、勤めていた会社でも高精細印刷の実運用を目指すことになり、その中でコロタイプ印刷のことも調べた記憶があります。

 それ以前の1970年後半から1980年にかけて、「コロタイプ」と名の付く印刷会社からくる、卒業アルバムの仕事をしていました。町の中にでも、時々「コロタイプ」の文字は目にしていました。自分自身の小学校の卒業アルバム(1969年)もコロタイプで印刷されていることがわかりました。中学校と高校のアルバムはコロタイプ印刷ではなく、グラビア印刷になっていました。

 「紙魚の手」28号(2004年9月)で平野武利さんが寄稿した「写真製版の歴史② コロタイプは写真か はたまた印刷か」を読みました。ちなみに「紙魚の手帳」の前号である27号(2004年7月)に、ぼくは「『野の草と木と』製版と」をに寄稿していました。平野さんの文章を読み、もう一度 『日本コロタイプ印刷史』 を読み返し、コロタイプに深く興味を持つようになりました。(2021年12月) (Ⅱに続く)

紙魚の手帳27号
紙魚の手帳28号