最近出会った二冊。

「うたのあしあと」(C.トロチェフ 土曜美術出版販売  1998年刊)は、東村山の国立ハンセン病資料館の中にある図書館で、題名が気になり借りてきた一冊です。

「ぼっち死の館」(齋藤なずな 小学館 2023年刊)は、4月8日の朝日新聞の中条省平のマンガ時評の記事を読み、購入した一冊です。漫画を本と呼んでよいのか迷いましたが、この漫画は中条さんも書評の中で書いているように〝マンガは社会の鏡であるという事実を明快に伝えるもの〟と書いているように、本と同じ力を持つものと思いました。

「うたのあしあと」を借り、資料館を後にする時に目にした研究紀要にあった〝鶴見俊輔〟の文字が留まりましたので、一冊頂いてきました。

 紀要の鶴見俊輔さんの文章を読み始めると、借りてきた「うたのあしあと」の作者トロチェフのことが書かれていることに驚きです!

 以前〝文字の方からやってくるⅡ〟で書いたことに似た感覚を持ちました。「なんで借りた詩集の作者が、ここに書かれているのだろう?」、何かに引き寄せられているのだと思います。

 鶴見俊輔さんの熱気が伝わって来るすばらしい内容です。

 国立ハンセン病資料館の学芸員の木村哲也さんの解説も、鶴見俊輔さんの講演内容だけでなく詩集「いのちの芽」の詩人たちとの関係を丁寧にされ、こちらもすばらしい解説でした。また脚注を見るだけで、徹底して本を調べ上げていく姿勢に感銘を受けました。

 ただ、トロチェフの詩集「うたのあしあと」は、30分で読んでしまいました。矢沢宰さんの詩と重なるところもありました。

 詩集「ぼくは12歳」を書いた岡 真史くんのことをさらりと書かれた詩もありました。

 ぼくは岡 真史くんのお父様である高史明(コ・サミョン)さんの著書「生きることの意味」(ちくま少年図書館・1974年刊)を、高校の図書館で借りて感動して読んだ記憶があります。その翌年1975年に一人息子の岡 真史くんを亡くされたことを知り、「ぼくは12歳」は深く心に残った一冊でした。

 そのためもあったでしょうか、全体に引っかかるところのない、さらりとしたトロチェフの詩に違和感を持ちました。

 雪だるま

 くるしい
 ながい
 ふゆ
 まだ つづく

 白い しずかさと
 うつくしさを
 ダイヤ の ほし みつめてる

 だれか つくった
 かわいい
 雪だるま
 くろい くちで わらって
 よろこんでる
 まだ つづく ながい
 ふゆに ................     (トロチェフ詩集「うたのあしあと」より引用)

 鶴見さんの講演の中でこの「雪だるま」の日本語を、〝(この詩は)日本語としたら傍系(ぼうけい・主流から外れたもの)のものと思われますか?それはね、100年経ち、200年経ち、もうあと何年もたてば、日本語についての見方は変わってくると思いますよ。〟と言っています。

 鶴見さんは、このトロチェフの歌詠み知らずのような文体をこのように表現していました。国境のない将来を描いていた鶴見さんだから言える言葉だと思いました。

 この講演から20年以上が過ぎ、時代の中で文体もリズムはどんどん変わっているように思います。(2023年7月)