『紙魚の手帳』3号〝紙魚のあしあと〟から 

 写真家星野道夫さんが亡くなったのは3年前の1996年の8月8日でした。星野さんの撮影になるアラスカの自然やそこに生きる動物たちの姿は、数多くの写真集となって各社から出版されて、多くのファンの心をつかんできました。ぼくが星野さんと始めて会ったのは亡くなる2、3年前だったと思います。ある出版社から白熊の家族を主題にした子供向けの写真絵本を作りたいという話があり、彼自らが選んだフィルムを持って事務所に来てくれたのが最初でした。(下に続きます↙)

『紙魚の手帳』3号の表紙とあしあと
1999年9月30日 発行

 アラスカの厳しい自然の中で、あらあらしい猛獣のアップ写真を撮る人とは思えない柔和な表情の星野さんは、穏やかな語り口でアラスカの自然の素晴らしさ、そこに昔から住むエスキモーの素朴な生活、そうした中での人間と動物たちの対等のつきあいなど、静かにを語ってくれたのでした。そして誰もいなくなった廃村にトーテムポールだけが半分朽ちて残る森の中で、ひとり佇みながら次の取材を考えたことを話してくれました。その時プレゼントしてくれた2冊の本を後で読み、彼がどんな本にしたいのか少しずつわかってきたのですが、強く自己主張をしない星野さんなので、2度の打ち合わせだけではなかなか決められず、その翌日取材のためアラスカの自宅にあわただしく戻ったのです。企画が進まないまま1年がたち、もう1度考えたいからといって預かっていたフィルムをとりに見えたのが顔を見た最後でした。その数か月後に新しい取材先のカムチャッカで、野生の熊に襲われ命を落としたのです。あれほど野生の動物のことを知っていたはずの彼が、なぜ一人でテントに寝ていたのか、この時のテレビ取材についてはいろいろ後で取りざたされたようですが、新しい取材地の第一歩で不慮の死をとげたその時の彼の心情を考えると心が痛みます。星野さんとは結局2度話をしただけでしたが、初対面から何か心が通じるものを感じていただけに残念でなりません。星野道夫はすぐれた写真家だっただけでなく、広い眼で地球の自然や人類の未来を考えられる哲学者でもあったと思います。(多川精一

 千駄ヶ谷にあった多川さんの事務所で、「今、チカシマさんが座っているソファに、星野さんも座って話をしていました。無口で静かな方でした」と多川さんから伺いました。

 これと同じ言葉を聞いたことを思い出しました。至光社の武市八十雄さんからも「 今、チカシマさんが座っているソファに、いわさきちひろさんも座って話をしていました」と。至光社さんは広尾の迷路のように楽しく不思議な建物でした。二つの懐かしい思い出が蘇りました。

 1998年、福音館の月刊誌「たくさんのふしぎ」3月号として、『クマよ』が出版されました。後見返しには〝この本は、星野道夫氏の遺稿と使用写真についてのメモをもとに作りました(編集部)〟と書かれています。たいへん美しい写真絵本です。

 ただ、ぼくは多川さんがレイアウトした写真絵本を見たかったと思っています。『クマよ』とはまた違った味の写真絵本になっていたかもしれません。(2022年12月)

星野道夫〝悠久の時を旅する〟
展示会場の扉の前で

 11月から、東京都写真美術館で星野道夫さんの写真展が開催されています。会場には写真と一緒に星野さんの文章もパネルで紹介されていました。星野さんはアラスカの自然の中で、ご自身の心と向き合ってきた哲学者でした。

 〝きっと人間には、二つの大切な自然がある。日々の暮らしの中でかかわる身近な自然、それは何でもない川や小さな森であったり、風がなでてゆく路傍の草の輝きかもしれない。そしてもう一つは、訪れることのない遠い自然である。ただそこに在るという意識を持てるだけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる。そんな遠い自然の大切さがきっとあるように思う。〟 ~星野さんのエッセイ集『長い旅の途上』より

 すてきな言葉です。ぼくが星野さんの本を読んだのは20年近く前ですが、66歳を過ぎた今、あらためて読んでみたいと思います。(2022年12月)