小野千世さんの絵本に『かわ』があります。詩のように流れる文章と、パステル画の静かな絵本です。小野さんの父親、宝生流の能楽師・近藤禮(れい))れい禮〈明治39年8月12日~平成2年11月29日〉さんとの共作です。絵本のカバーの袖に、「この本には父と娘の川が交差して流れています。それぞれに、迷いながら」と書いています。

絵本のカバーを開いた袖に小野さんの言葉があります

背景は絵本の一部「かわは つきを こわしては たいへんと・・・」
至光社 1978年刊(製版*新日本セイハン)

上:絵本 下:原画(フレームに丁寧に入れられています)

絵本は原画を約2倍近く拡大して作られています。絵本などの印刷物を作るときは、原寸からやや大きめに原画は描き、製版で縮小する方が絵の粗びも出ないため一般的です。

この絵本は逆の形で作られています。それは、この絵自体が絵本にすることを目的に描いていないからだと思います。 禮さんが、心と手が赴くままに描いた、ご自分のための絵だったからだと思います。

至光社の武市八十雄さんは、この小さな原画に心が吸い寄せられました。そして、禮さんの思いを何とか新しい表現で絵本にできないかと考えました。そして考えたのが、拡大することでした。

上:絵本(原画の3.7倍) 下:原画

原画を拡大して新しい表現を得ることができないかと試行錯誤して作られたのが、杉田豊さんの絵本です。

武市さんは、この「かわ」の絵を拡大することで禮さんの筆致が鮮明に出るのではと考えたのかもしれません。

杉田豊さんの絵は、凹凸のあるボードに透明感のあるカラーインクで描いています。そのため、紙の陰影が素材感として再現され、凹部に溜まってたカラーインクも不思議な色合いをだ出していました。

しかし、『かわ』はパステルで描かれていますので、拡大するとパステル色材の隙間が広がり、密度が薄まって見えてしまうところも出てしまいました。その効果で明るく見えるところもありますが、千世さんと禮さんの筆致をそのまま原寸で生かした絵本も見たいと思いました。ただし至光社絵本の判型より、かなり小さくなってしまいますが。

この絵本の製版工程での拡大は難しかったことが想像できます。至光社と新日本セイハンの間でのテープがあれば、そこに吹き込まれている武市さんの思いとは裏腹に、新日本セイハンの技術者の試行錯誤があった絵本だったと思います。

表紙だけですが、試しに原寸サイズにしてみると
現在の絵本判型との比較

つい、技術者の視点からアプロ―チしていましましたが、現在のような不安な世情の中で、心の落ち着きを取り戻すことができる絵本です。

近藤禮さんも、ご自身の心を落ちつけようと描いていたのではないでしょうか。心に余韻が残る文章が、絵と共鳴するすばらしい絵本です。(2022年6月11日)