小金井には洋画家の中村研一さんのご自宅とアトリエがありました。没後、アトリエは中村研一記念美術館として市民に親しまれていましたが、2004年から市立のはけの美術館にリニューアルされました(赤い矢印)。
地元では急斜面の崖をはけと言っています。この崖は、古多摩川の流路が大地を切り取っていった跡です。
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ぼくには、思い出に残る、はけの森美術館の展覧会がふたつあります。
※はけの森美術館のホームページにも過去の展覧会が載っていますが、令和からのアーカイブでしたのでこちらに残しておこうと思います。
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江戸糸あやつり人形結城座
~ 糸し糸しと言う心 ~
2011年6月1日~7月3日
展示室の中に糸が張りめぐらされており、その中をさまよいながら人形を見ていく不思議な展示空間を覚えています。
リーフレットには、結城座の稽古場のある貫井北町の東京学芸大学のデザイン研究室が、展示の構成をしていると書かれていました。
88歳の父と一緒に、楽しむことのできた展覧会でした。
結城座は380年の歴史を持つ東京都の無形文化財です。伝統を守りながらも斬新な演目が掛かることがあり、吉祥寺に本拠を構えていた頃から観てきた劇団です。
2023年6月、稽古場(スタジオ)公演にて「壷坂霊験記」を観劇。ぼく自身、体調のすぐれない時期でしたが、地元での開催のため観ることができとてもうれしく思いました。
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串田孫一
生誕100周年
2015年11月3日~2016年1月17日
展覧会には三回行きました。串田さんの絵と版画は、串田さんの作業机で作られた小さな作品が多く、眺めると言うよりは、覗き込むような展示だったことを覚えています。その分、絵との距離感が縮まり親しみを感じることのできた展覧会でした。
展示のひとつに福音館の月刊絵本『こどものとも』の、「ひとりでやまにいったケン」(1961年8月号)の原画がありました。串田さんが、子どものことも忘れて、楽しんで描いた絵だと思いました。それが却って、子どもの心に届く絵になっているのかもしれません。
父は2015年の10月に地元の桜町病院に入院し、この展覧会を見ることなく12月に亡くなりました。
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父は水墨画を描いていました。串田さんの描く鉛筆画や版画とは違います。
以前父に、串田孫一さんの絵本「ゆめのえほん」を見てもらったことがあります。串田さんの伸び伸びとした絵を見て、「俺も、こういう描き方がしたいと思っていた。でも、こういう描き方が一番難しいんだよ」、その時の父の声が聞こえてきた展覧会でした。(2023年9月)