「魑魅魍魎のラーメン」の札がカウンターの前に貼ってあるお店がありました。
カンカンカンの娘娘(みんみん)のお店がある駅前から離れたところに、ぽつりと灯りをともした中華「一番」です。
この店は、夜遅くまで開いているため、ぼくは仕事が遅くなった時によく寄っていました。
常連の人は、ご主人さんと呼ばずに一番さんと呼んでいました。
常連のひとりが、「一番さん、魑魅魍魎のラーメンなんて不気味な札を貼っておいてもいいのかい」と聞いても、一番さんはただニヤニヤしているだけでした。
ぼくは、カウンターの端に座ることにしていました。そこからは一番さんの動きがよく見えるのでした。調理をしながら、まな板の横のコップに入ったビールを口にしているのを、幾度も見ました。
常連の人たちは、このことを承知していたようで、「オートバイで帰るんだから、必ず酔いを醒ましてから帰れよ」と、毎晩のように声を掛けていました。
一番さんは飲み過ぎてしまうこともあり、酔っぱらってしまうと、焼きそばなのか、タンメンなのか、具がいろいろ混じり合った不気味なラーメンを作ることがありました。自分で気が付いて、捨てているのを見たこともありますが、このラーメンをお客さんに出したのを目撃したこともありました。
カウンターに座っていたお客さんは、出てきた不気味なものを、一目見るなりお店を出ていってしまいました。一番さんは厨房から慌てて、カウンターまで出てきましたが、自分の作ったラーメンを悲しい目で見ているだけでした。
この自戒の念から「魑魅魍魎のラーメン」の札をずっと貼っていたのだと思います。残念ながら、せっかく書いたこの札の〝効能〟は、楽しそうにお酒を飲んでいる人を見ていると切れてしまうようで、まな板の横のビールは一向に無くなることはありませんでした。
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突然、お店を数日休んだ時がありました。お店の前で常連さんと偶然会うと、「またオートバイで転んだのかな」とつぶやき合ったりしていました。
お店が再開し、しばらくして一番さんから「父が亡くなり福井の実家に行ってきたんだ。父は実家でずっと長男夫婦と一緒に生活をしていたので、葬式に参列した後は長居をせず、父が最後まですごしていた部屋の本棚から、本を数冊だけ形見にもらい、早めに帰ってきたんだ。」
そう言って、お父さんが書き入れた震える線が何本も何本も入っている、三浦綾子さんの文庫本をうれしそうに見せてくれました。
こんな〝無欲〟で、自分の〝宝物〟を知っている一番さんが、ぼくは好きでした。
魑魅魍魎のラーメンも、ぼくは黙って食べることができると心から思いました。
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「魑魅魍魎(ちみもうりょう)ラーメン①」は、2023年秋に小野千世さんの文章教室に提出した作文です。
以下は、千世さんから戻ってきた添削の一部。現在教室に出席することができないぼくを励ますように、花丸とたくさんの添削を入れて戻してくれました。病気で学校にいけない子への学校の先生の通信ノートのようですね。何歳になっても花丸をもらうとうれしいです。
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千世さんは絵本画家ですが、文章を書くことも好きな人。
「本当は新聞記者になって、みんなを幸せにできる文章を書きたかったのよ」と、千世さんが話していたことを思い出しました。(2023年12月)