1月12日の朝日新聞の夕刊の『素粒子』に、「コロナだけが理由ではなかろうが。岩波ホール閉館へ」とありました。翌日の朝刊の社会面にあらためて記事が載っていました。座席数は200席で、ミニシアターの先駆けとなった映画館でした。

 ぼくが岩波ホールで最初に見た映画は、『ねむの木の歌が聞こえる』(1977年7月)でした。この映画はカラー作品でしたが、パンフレットには1974年から上映された映画が22本載っていました。インド映画、エジプト映画、フランスのロベール・ブレッソン、スウェーデンのイングマール・ベルイマン、日本の衣笠貞之助、多くは白黒映画でした。ぼくにとって、岩波ホールは外の世界へ向けて開いている窓でした。そしてモノクロームの美しさを教えてくれた学校でもありました。

2021年4月上映の『ブータン 山の教室』を観に行った際、年代順にチラシが貼られていました。
右上が最初に上映された『大地のうた』。赤丸がぼくが最初に観た『ねむの木の詩が聞こえる』

 ぼくは映画が好きで、大学で映画史を受講していました。当時はまだビデオはなく、古い映画は京橋のフィルムセンターで上映されるものを観るしかありませんでした。そのため、観る人の長い列がいつもできていました。ぼくも6時間待ったことがあります。映画史の授業で覚えているのは、山本喜久男先生が教壇から言った「今日はフィルムセンターで何が上映されているか知っていますか?皆さんなぜ観に行かない?今ここにいる人は全員欠席にします。」といった言葉でした。

 当時のぼくは、昼間はある出版社の文庫本の倉庫で働き、夜は早稲田大学の第二文学部に通っていました。一限目の始業は午後5時25分。職場からやっとたどり着き、この言葉はショックとともに、心に残りました。その映画は『天井桟敷の人々』でした。戦火の中でフランスの映画人が撮った映画でした。後日、フィルムセンターで長蛇の列に並び観ることができました。美しい白黒映画でした。

 白黒映画は、カラー映画とは異なり、観た人がそれぞれの色を想像できるところが良いという人がいます。ぼくも、白黒映画を観て色を想像して楽しむことはありますが、それ以上に、目に心地よさを感じる、光と闇が作り出すモノクロームの美しさがあると思います。

 この感覚を言葉にまとめてくださったのが、平野武利さんが追求し続けた「トーンの一考察」でした。(2022年1月14日)

 岩波ホールの映画パンフレットの表2(表紙の裏側)には、上映一覧表が載っており、その情報を頼りにその後映画を観ていきました。もちろん岩波ホールでも多く観ましたが、岩波ホールが紹介し、ミニシアターで再上映される映画も多くありました。学生時代にはロシア文学の先生から、アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』を紹介されました。この映画は、岩波ホールで上映された翌年の1978年に有楽町の日劇文化で観ました。この映画館も今はもうありません。

 『ピロスマニ』『木靴の木』『旅芸人の記録』が、深く心に残っています(YouTubeにアップされている予告編をリンク)。ピロスマニは、黒いテント地に白ペンキで描いた素朴な絵も好きでした。