東京で初めてアパートを借りたのは、新宿区の中井です。職場と学校に通う交通の便がよいことで選びました。

 アパートは古い木造の2階建てで、1階と2階で8部屋でしたが、空き部屋はかなりありました。ぼくの借りた部屋は小さな流し台があるだけの四畳半で、トイレは共同、お風呂は銭湯を利用していました。

 部屋の鍵は小さな南京錠。鍵を失くすと南京錠の付いた掛け金をドライバーで外し、簡単に部屋に入ることができました。  

 時々あったのでしょうか、大屋さんからもドライバーは下駄箱に用意してあることを伝えられていました。とてもおおらかな時代でした。

中井に引っ越してきた当初は
随所に屋台(と廃棄された屋台)が
目に付きました

 このアパートのそばに焼き鳥屋の司(つかさ)はありました。最初は焼き台の出窓越しに焼き鳥を買ってアパートで食べていました。

 ある時「お店に入ってみないかい」と声を掛けられ、暖簾をくぐりました。

 カウンター席とテーブル席が二つ、奥に小さなお座敷がありました。出口に近いカウンターに座り、何を頼んでよいものか迷っていると、「これが名物の煮込み」と出してくれました。それはシチューのようなトロトロの煮込みでした。おいしかった。

 常連客がいましたので、できるだけ端のカウンター席に座るようにしていました。

しかし、いつの間にか「チカシマさん」から「テッちゃん」と呼ばれるようになり、常連のひとりになっていました。

 ぼくの一人暮らしを見に来た父と母を、司に連れて行ったことがあります。母が、マスターに「哲男をよろしくお願いします」と頭を下げた時の、マスターの困っていた顔が忘れられません。父も母も、煮込みをおいしそうに食べていました。父は戦後に食べていたドロドロの水団(すいとん)を思い出していたようです。

 友人も連れて行きました。

 マスターは、ぼくと友人との話に耳を傾けていたようです。次に行った時、「テッちゃんよ、あそこはもっと自分の意見を出した方がいいんじゃねえのかな」と、言われたことがありました。

 他のお客さんに同じようなことを言っているのを聞いたことはありません。お店でのぼくの振る舞いを見て、マスターは生き方に迷っていた若い頃の自分と、重ねていたのかもしれません。

 そんな、青春の匂いも混ざる煮込みでした。(2023年11月)

司のマスター
後ろには赤ちょうちんが見えます