本の山から、この本の文字から声が聞こえてきました。

 「昭和30年」「北海道」「教職員」の文字が目に留まりました。700ページ近くある厚い本でしたが、神保町の古書店で110円で購入しました。父はぼくの生まれる前年まで北海道で教員をしていました。父の話の中に『屈足(くったり)』という言葉があったのを思い出しました。パラパラと捲っていると、発見できました。そこに父の名もありました。新得高等学校屈足分校(定時制)の教諭の一人でした。父の名前は「啓」でした。この膨大な活字の中から、探し当てたことを不思議でもあり、また大変うれしく思い、店主さんにも「この本に父の名前がありました。」と、つい話しかけてしまったことを覚えています。

 本に「見つけてくれてありがとう」と言われた気がしました。本にも意志があると思いました。

 本に関して忘れられない言葉があります。それは児童文学の研究者鳥越信先生の『子どもの本との出会い』(ミネルヴァ書房・1999年)にある「印刷されたものはかならず存在する」という言葉です。国文学の弥吉菅一先生の言葉として紹介しています。子どもの読む本は消耗品的な性格もあり、探し切れず挫けてしまいそうな時に思い出していた言葉でした。この「かならず存在する」ことを信じて、本の山を見ていると、文字の方からやってくると思っています。

 鳥越先生の蔵書を基に作られた大阪府立国際児童文学館には、関西出張の仕事の帰りに幾度か訪問しました。先生の蔵書を本棚から直接手に取ることができ、貴重な本と出合うことができました。太陽の塔を見ながら、大阪万博の日本庭園の池を歩いて通いました。2009年に閉館し、現在は東大阪にある大阪中央図書館に本は移りました。(2021年12月)