〈芝生の家〉

 この家も大岡川に面している、駐留する米国人の家でした。柵は無く、小さな敷地の庭一面が芝生だったことを覚えています。 

 その家から小学校に通う女の子は、同じ学級でした。小学校2年の時、遠足で行った野毛山動物園の記念写真を見ると、その子だけがカメラのレンズをしっかりと見つめています。他の子どもたちはカメラをあまり気にしない様子で、ぼんやりとした顔で写っています。

 今見ると、その子はアメリカの人気画家ノーマン・ロックウェルの描く子どもに似ています。一方、ぼくたちは、水木しげるが描くのっぺりとした顔に、ぼんやりした顔付きの子どもたちに見えます。

 家が近かったこともあり、その子とは時々遊ぶことがありました。しかし、芝生にも家の中にも入った記憶はありません。ぼくは、テレビ放映されていたアメリカのホームドラマ〝ルーシー・ショー〟を見て、その子の家の室内を子どもながらに空想していました。

 しかし、いつの間にかその子は学校からいなくなり、芝生も家も消えていました。野毛山動物園の写真は今も手元にありますが、この芝生の家は夢だったのではと思うようになりました。

 秘密基地に思えた船の家、操舵室に思えた団地の家も、年々ディテールはろ過されていき、少しずつ夢のようになり始めています。

 ぼくの家は横浜の普通の家でした。そのためでしょうか、好奇心から友達の家を覗き、夢を見せてもらっていたのかもしれません。育った家は、現在は駐車場になっており、もう形はありませんが夢になってしまうこともありません。玄関の柱に貼って怒られた〝狼少年ケン〟のシール、母が台所にずっと貼り続けたぼくの下手な「火の用心」の絵、釘が抜けそうで怖かった父が作った鉄棒、祖母が暮らしていた小さな離れの食器棚にあった赤玉ポートワイン、記憶の糸を紡いでいくと、ディテールは後から後から今も出て来ます。

 2001年、取り壊しを静かに待っている横浜の家の写真が幼なじみから送られてきました。その写真にアルバムの写真を重ねてみました。(2022年10月)