昨年の四月、ハンスさんからスタートした「フレンズ」は、多川精一さん、坂本恵一さん、岡田勝司さん、平野武利さんと続き、武市八十雄さんでゴールとなります。

 しかし、ゴールのイメージはまだ思い浮かばず、見えてくるのは一人ひとりの眼差しばかりです。ハンスさんは丹沢を愛し、多川さんは出版文化を愛し、坂本さんはレタッチと詩を愛し、岡田さんは職場の仲間を愛し、平野さんは自分の住む町と写真を愛し、武市さんは画家と絵を愛し続けた目でした。

 しかし前回紹介した『ひろば』の中で、谷内六郎さんは「武市さんの目は、善意にあふれていますが、時にするどい視線があり、私は心が打ちのめされてしまう」と書いていました。谷内さんは画家、武市さんは絵から本を編む編集者と近い関係にありながら、二人の間には溝があるように思われました。

上:作品『肖像(ゴッホ)』(1985年)の
前に立つ森村泰昌さん

 名画にご自身のポートレイトを重ねた不思議な絵で、自分とは何かを追求してきた関西の美術家がいます。森村泰昌さんです。左の『肖像(ゴッホ)』は森村さんの転機になった作品です。おもしろいのは、この作品を「なりきるアート」ではなく、「なりきれないアート」と呼んでいたことでした。自我をずっと見つめ続けてきた森村さんらしい言葉と思います。

 森村さんの『美術、応答せよ!~小学生から大人まで、芸術と美の問答集』(筑摩書房)の中に、ぼくには忘れられない言葉があります。

 それは、美大生が投げ掛けた「絵が好きなことと、美術作品を作る画家との違いとは」の問いに対し、森村さんが「画家とは、子ども以上大人未満という不安定で寄る辺のない青春時代に、留まり続けている人」と、答えていた文章です。

 実は、ぼくの父も「おかしいところが無ければ、画家(芸術家)はやれない」と話していたことがありました。父はそれ以上話しませんでしたが、森村さんと同じことを伝えたかったのだと思います。父は、モノを作る人を尊敬していました。

 青春時代の寄る辺のなさをいつも感じていた谷内さんにとって、武市さんはあるところまで絵を一緒に楽しみながらも、時に大人の世界に戻ってしまう人に映ったのではないでしょうか。

 しかし、青春時代と大人、そこにあるのは溝ではなく、一本の線でつながる道程(みちのり)です。森村さんもそのことをわかっており、その上で青春時代という言葉を使っていたと思います。

 谷内六郎さんはすてきな大人でもありました。武市さんの前では、画家として振舞うよう青春時代に自分を置いていました。

 武市さんも、画家とは別の不安な青春時代があったと思います。絵を描くことのできる谷内六郎さんを、時に羨ましく思ったこともあったことでしょう。

 お互いに、この想いがあったからこそ、心が交差することがありながらも、パートナーとして仕事ができたのだと思います。(2022年7月下旬)

現在も続く朝日新聞朝刊の欄『ひと』
(1986年当時の記事)

 〈小野千世さんの文章教室にて〉

 添削して戻った作文には、赤字で画家の本音を書くことができた『ひろば』は、とても大切な冊子であったと書いていました。

 また、朝日新聞の後藤記者が感じた武市さんの〝やんちゃ坊主〟と同じように、小野千世さんは、武市さんの たいへん人間臭い一面をそっと教えてくれました。(2022年8月中旬)