『ひろば』美術プロムナードで取り上げられた童画家20名の中で、もう一人紹介したいのが、昭和42年の春季33号に掲載された谷内六郎(1921年12月2日~1981年1月23日)さんです。

 最初に、武市さんご自身が『道に求められたひと』と言う文章を書いています。そこで「谷内さんは、絵の道を究めようとした人ではなく、天からの声で絵の道を歩かされている人」と書いています。

 次に、谷内さんご自身が『思うまま綴る』と言う文章の中で、「自分の絵は、長い病床期の中で見た幻覚から生まれたもの」と書いています。そして、「網膜の中の花々や色彩には、音や匂いまで付いて出てきた」と明かしています。

谷内六郎さんの絵

 前回の書いた茂田井武さんの文章に、小野先生から、「茂田井さんの絵は、重たいワインに似ています。谷内先生にも似たところがありました」と、書いて戻してくれました。フルボディの赤ワインでしょうか、ぼくにはとても腑に落ちる言葉でした。グラスを通して見る深い赤紫は、茂田井さんと谷内さんが絞り出した血の色だったように感じました。二人とも、自身の心の深部を探るように絵を描いていきました。そのため、闇を描いたような暗い絵になることもありました。しかし、二人の描いてきた絵は人々の心にも共感を呼び、あかりを灯す絵もたくさんあり、見る人を励ましてくれました。

 武市さんが、谷内さんのことを「天からの声で絵の道を歩かされている」と書いた、天の声とは、谷内さんが見つめ続けた自分の内なる心の声のことを、言おうとしていたのではないかと思っています。

 『ひろば』には、カラー印刷の口絵ページが1ページありました。谷内さんが長く担当され、『遠い日のうた画集』を描いていましたが、昭和53年の春季77号からは、小野千世さんがバトンを引き継いで、『小さないのちのうた』を、終刊の92号(昭和56年冬季号)まで描いていきました。

『ひろば』の口絵のバトンタッチ

 〈文章教室で〉

 小野さんからは「フルボディの赤ワインのような絵の他に、谷内さんの絵はじっくり煮込んだおでんのような絵も多かったです」「結婚し、お子さんが生まれたから、絵はだいぶ変化していきました」とありました。東京新聞の2枚の中に描かれている白い洗濯機と白い冷蔵庫も、〝怖い〟ものに感じてしまうと言われました。谷内さんをよく知る小野さんには、谷内さんが描こうとしていたものが見えるのかもしれません。

 また、「谷内先生は、ひと呼吸ひと呼吸をゆっくりされる方で、いつその呼吸が止まってしまうのかと、ハラハラしながら話を聞いていました」と、話されていました。『ひろば』の口絵は、谷内さんが小野さんを次の画家に推薦してくれたそうです。小野千世さんは、谷内さんの跡を汚さないよう、読む人をやさしく包み込む絵になるよう努力していきました。(2022年7月)