きれいなポスターがあると、ついルーペを出してアミ点を覗いてしまう自分がいます。そのため、「変な人」と言われたこともありました。
しかし、新日本セイハンの野村廣太郎さんは、変人のレベルが違っていました。上演するスクリーンの映画の色の正体を知ろうと、ルーペを持って上映中の舞台に上がり、スクリーンをめざして這っていきました。武市さんも、野村さんを止めようと後を追い、一緒に舞台を這っていましたと、笑って話していたことがあります。
野村さんには、製版技術に関する著書がありますが、その中の『色刷製版の美術管理』(印刷学会出版部・1959年刊)には、「唇を凝視する」という一節があり、肌色を調整する製版方法を、美容師の教本のようにきめ細やかに書いています。
このような野村さんだからこそ、武市さんは絵本作りの心臓部である製版工程を、預けようと考えたのだと思います。戦後の印刷物はひどく、印刷媒体から画家が去ってしまうのを、武市さんは悲しく思っていました。絵本作りを始める前に、まずは印刷そのものの質を上げようと、製版と印刷そして紙の勉強をして、アイデアを考えていきました。
そのひとつに、『こどものせかい』の1961年10月号から、新日本セイハンのレタッチ作業者の名前を、絵の脇に入れていくことを考えました。そして、このアイデアが、製版の活性化につながってほしいと、武市さんは『ル・ネッサンス』と名付けました。
表示の形は変わりましたが、絵本作りに関わった人の紹介は、現在も続いています。
絵への想いの入ったテープを聞き、レタッチを行い、最後は自分の名も本に載る。携わったレタッチ作業者は、夢中になって自分の持つ力を発揮していったと思います。何より楽しい仕事だったと思います。
武市さんから、しばらくして「チカシマさん、久しぶりにテープに吹き込んでみましたよ」と、連絡がありました。反応を聞くことはできませんでしたが、ぼくには楽しそうにテープに吹き込む、武市さんの姿が目に浮かんできました。
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小野千世さんの文章教室では、「ターさん(武市さん)は、いつもテープレコーダーのマイクを首からぶら下げていました」と説明してくださいました。また、戻ってきた文章には花丸と一緒に、野村さんと武市さんが舞台を這う文章のところには、「ヤバイ ヤバイ 映画館にサルが出た!って感じかな」とありました。周りの観客はそう思ったかもしれません。小野さんの表現は楽しいです。(2022年4月)