高校2年の夏休みに、クラブの先輩の家でロックを聴きながら、「この本がいいんだ」と見せてもらったのが絵本『のらいぬ』でした。その時は、描いた人も、出版社も覚えていませんでしたが、仕事で絵本の製版に携わるようになり、至光社という出版社の絵本であることを知りました。

 描いたのは、谷内六郎さんの甥の谷内こうたさんで、1973 年に出版された絵本でした。

 描かれていたのは、夏の暑い昼下がりに、砂山で野良犬が見た蜃気楼です。少年と心のふれあいを求めた、野良犬が見た夢の話でした。絵本から伝わってくるヒリヒリした感覚に、高校時代の先輩とぼくは、魅かれていったのかもしれません。

 『のらいぬ』の絵本のことは忘れていましたが、ぼくは絵本製版の仕事に就いていました。5年目に入る頃でしたが、関西 の新日本セイハンという会社で作った『野の草花』の色校正(試し刷りの印刷)と、原画が入稿してきました。指示書には、重点品目の印が押され、「これと同等以上のものがあがれば、仕事が来るのでひとつ(・・・)お願いします」と書かれていました。がんばって作業に向かいました。

 しかし、出来た色校正を比較すると、絵から伝わってくるものに差がありました。ぼくたちの会社の色校正は、部分部分の色は原画に近いところもあるのですが、一枚の絵としての統一感が無いように思いました。それに比べ、新日本セイハンの色校正は、絵としての明るさと奥行き感が出ていました。受注することはできませんでした。

左:絵本から 新日本セイハンの版による本機印刷(色校正は返却し残っていません)
右:ぼくたちの会社の色校正

 当時の自分の作業メモには「大阪での製版。ほぼOKらしい。シャープだ。原画と比べると奥行き感が多少出ていない。色玉はていねいに入っている」と書いてあります。

 また、右の自分たちで作った色校正には、自分の字で「しぼむ」という言葉がありました。植物の生き生きした感じを出せなかったことだったのでしょうか。また、原画と比較して色版のバランスを欠いています。当時の自分は、細部にばかりこだわってしまい、大切な絵全体の印象を大事にする見方はありませんでした。40年を越え紙が焼けてしまった色校正ですが、今も大切にしています。

『野の草花』表紙 1982年福音館書店刊
文:古矢一穂 絵:高森登志夫

 この新日本セイハンの製版技術に惚れ込み、毎月東京から原画を送り、絵本作りをしていたのが、至光社の武市八十雄さんでした。

 ぼくは、新日本セイハンがどのような会社なのか、どうしても見たくなり、夏休みに大阪に行きました。現場に忍び込みたい気持ちだったのですが、実際には会社に入ることもできず、会社の前の公園のベンチから、会社に出入りする人を見ているだけでした。今考えると、おかしな行動ですが、当時としては精一杯の情報収集のつもりでした。

 大阪で流行り出していたカプセルホテルを利用し、ただ新日本セイハンのある町の空気に触れるだけの旅でしたが、ぼくには忘れられない旅になりました。その後、大阪で仕事をすることが多くなりましたが、大阪駅に着く度に、あの当時の熱い思いを持っていた自分を思い出していました。(2022年3月)

 新日本セイハンは、1956年(昭和31年)の11月、大阪市福島区鷺洲で創立されました。しかし2000年を過ぎ廃業されました。

 2022年3月から、田辺聖子さんの自伝を描いたNHKの朝ドラ『芋たこなんきん』が再放映されています(初回放映は2006年10月)。その中に、福島区にあった田辺聖子さんの生家の写真館が出てきます。時代のずれはありますが懐かしさを感じました。近くには堂島川も流れています。ドラマではCGで昭和の街並みやトロリーバスが再現されており、とてもおもしろいドラマです。(2022年4月)