ぼくの父は柿が大好物でした。
父のところに行くと、お皿の上で果肉が溶け出している柿を見ることがありました。
ぼくが「そんなにドロドロになっていても大丈夫?」と聞くと、父からは「これからがうまいんだぞ」と返ってきました。
確かに色は、干し柿を割った時の美しい果肉の赤色でした。
加工されたお菓子のゼリーばかり見てきたぼくの目には、ドロドロの果肉が“腐っている?”と見えてしまいました。
しかしお菓子のゼリーなどまだ少ない時代を生きてきた父にとって、このドロドロの果肉がお菓子でした。
父は小さな頃からの経験で、色を見て痛んでいるものか熟しているものか、判断していたのかもしれません。
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父の部屋を整理していると、きれいな額に入った小さな水墨画が見つかりました。
父の水墨画は、和紙や色紙に描いたままのものばかりで、額に入っているのはこの一枚だけでした。
そこには「故郷を守る姉あり 柿とどく」とありました。
父が描いた水墨画に、文字はほとんどありません。自分では、どれも未完と思っていたのでしょうか。この絵にだけ文字が入っている俳画になっていました。
父は千葉県「内房」の岩井海岸で生まれ育ちました。家は背の高い槙の木で囲まれており、大きな庭には夏みかんがたくさん植えられていました。
父は近所のガキ大将であり、平らに刈り込まれた槙の上を遊び場にしていました。
大人の体重では槙の上に乗ることはできません。そこは、大人を気にせず遊ぶことができる子どもの世界だったのかもしれません。
父には三人の姉と、一人の兄と妹がいました。上の姉二人は嫁いでいましたが、一人の姉と兄妹はずっと独りでした。
お兄さんが亡くなり、妹さんが亡くなり、最後はすぐ上のお姉さん一人で、家を守っていました。
この俳画は、その姉から届いた柿を見て、お姉さんを想い描いたものだと思います。
父が生前、水墨画を描いていることは知っていましたが、俳句を作っていることは知りませんでした。
ぼくにとって、この俳画は父と思い出とともに、父の兄弟を思い出すことのできる、大切なものになりました。
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小野千世さんから、この文章の添削が戻ってきました。
おのちよさんからの添削の赤字。小野千世さんのやさしさが浮き上がってきます。
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現在教室に通うことができませんので、文章教室では小野千世さんに代読をしていただいています。
添削には、千世さんが使われていた代読用の紙も挟まれていました。
「啓氏(父のこと)に届くように読む!」
俳画には「もしかするとこの鳥は、お姉さんのそばにいてあげたい父上かも!」
やさしい千世さんです。(2024年1月)