手に編み物が

 シテ方能楽師近藤禮の次女として、東京市滝野川区(現在の北区)に生まれました。1945年3月4日の空襲で兄と家を失い、家族で北海道に疎開。病弱のため当別町中小屋の修道院で1年間を暮らしています。その当時の日記に絵を付けた絵日記『花と木沓(サボ)』が、週刊新潮の表紙を描いていた谷内六郎先生の目に留まり、月刊絵本「こどものせかい」を出版している至光社の武市八十雄さんに手渡されていきました。

 そして「こどものせかい」の1966年 昭和41年の11月号に1枚が載りました。

「こどものせかい」に最初に載った1枚

 その後、至光社から『ひとりぽっちのねこ』(1968年 藤田圭雄 構成)、『わたしのげた』(1969年 武市八十雄 案)、『まいごになったおうむ』(1970年 藤田圭雄 構成)、『いとでんわ』(1971年 文・絵とも小野千世)と、一年に一冊のペースで抒情豊かな絵本が出版されています。

『こたんこるかむい』の原画と絵本
原画は竹から作られた和紙に描かれています

 その後も、『かわ』(1978年)『ふってくる』(1983年)『おたすけねこさん』(1984年)、『つきがでた』(1986年)、『こたんこるかむい』(1989年 平成元年)と、一冊ごとに新しい画法に体当たりするように挑み絵本作りに力を注いできました。『こたんこるかむい』は、小野千世がアイヌの古老より直接聞かせていただいた物語を、30年間自分の胸の裡で温め続け、絵本の形に昇華しています。

 現在もカルチャースクールで文章を教えているエッセイスト。年に数回、求められるままに踊りを披露。合気道と杖術(じょうじゅつ)で体力作りに励む頑張り屋さん。(2018年記)