四ツ谷にある聖イグナチオ教会の鐘の音を聞くと、ハンスさんを思い出します。中央線から総武線へ乗り換える朝のホームで聞く鐘の音はお腹に響き、太いハンスさんの声に聞こえることがあります。
バブル景気がはじけ、職場から逃避するように始めたのが山歩きでした。ぼくは横浜育ちで、神奈川県の屋根である丹沢のことは知っていましたが、行ったことはありませんでした。その「丹沢」の響きに懐かしさを感じ、丹沢を少しずつ歩くようになりました。丹沢の本も探しました。その中で『丹沢夜話』を知り、作者のハンスさんを知りました。ハンスさんは神父さんであり、高校山岳部の部長でした。とにかく楽しく懐かしさを感じる本でした。ぼくは初めて作者に丹沢で撮った写真を添えて手紙を書きました。ラブレターを書くようで、ドキドキしながら書いたことを覚えています。
ハンスさんからの手紙をポストに見つけた時は、飛び上がるぐらいうれしかったです。手紙の最後に、写真の撮影場所を知りたいと書いてありました。ハンスさんは当時80歳を過ぎており、持病もあって丹沢には行くことはできませんでした。ぼくの写真がハンスさんの丹沢への想いに火をつけてしまったと思いました。それからはぼくがハンスさんの目になって、丹沢を見て歩き写真を撮ろうと、憑りつかれたように丹沢通いを始めました。
丹沢から戻ると、その時々に思っていたことを添え写真を送りました。丹沢のことより、仕事のこと家族のこと、迷っていることが多かったと思います
ハンスさんからは必ず返事が届きました。その文面がおもしろいのです。ギクシャクしたぼくの文章に対して、ユーモアで包み込んでくれるものでした。ハンスさんはドイツ人ですので、日本語を書くのは大変だったと思います。それでも、ユーモアを持った言葉がぼくの心の扉を開いてくれました。今思うとハンスさんのユーモアの言葉に触れたくて、手紙を書いていたのかもしれません。
ぼくの文章は硬く説明的でした。ユーモアは思考や説明を越え、心に飛び込む豊かな表現であることをハンスさんから教わりました。このハンスさんから学んだユーモアの秘密を、次回書いてみたいと思います。