カット:五十嵐正克さん

 『紙魚の手帳』の親にあたる『E+D+P』の第1号の巻頭に掲載した多川精一さんのつぶやきです。1979年に発行されていますが、現在を予見しているようです。(2021年12月)

■紙魚のつぶやきNo1 『働きすぎ』

 働きすぎをいましめる声が高い。会社人間のゆとりのない生き方が、悲劇を生む例もよく新聞記事になる。景気の悪化のしわよせが、ゆとりもなく働いてきた、中高年を襲うという。そういうことがマスコミなどで、いわれるたびに、早速能串をおとし、仕事よりも余暇の楽しみをと、走り出すのは、いま、働きすぎていない人たちである。

 戦中・戦後を生きるために、いやおうなしに、働きすぎてきた、私たち中高年を、いたわり、忠告をしてくれるなら、ありがたいことである。しかし、今の風潮は、そうした人たちが、何か悪いことをしてきたかのように、思わせることにウェイトがあるような気がしてならない。これは中高年のひがみだろうか。

 働きすぎることが、そんなに悪いことだったのか、会社の仕事に興味を持ちそれに打込んできたことが、間違いなのだろうか。昭和20年8月15日、「お国のために」戦い働くことを止めて、自分が生き残るために、社会の中で闘おうと、決心した時から、30余年がたった。その「闘い」が、会社の中であろうと、自分の仕事であろうと、それが私たち現在の中高年の、生きがいであったことに、間違いはない。今でも、自分の仕事に、生きがいをかけている人たちは多い。それは、苦労はあっても、楽しみでもあることを知っているからだ。

 会社のために、献身して働くことが、その人の不幸や死にまで、つながるのは、働いた本人が悪いのではなくて、働かせる側の、人間管理に、重大な欠陥があるからではないか。あるいは、今の体制に、人間をも使い捨てなければ、会社が存続出来ない、仕組があるからだろう。問題の原因は、働く側にあるのではなく、個人の生き甲斐と会社の業績を、結びつけ得ない、社会や会社の組織にあるのだと思う。

 本づくりという仕事は、幸せなことに、「つくる」というたのしみから、離れることがないから、会社という組織に所属しようと、自由業として個人で参加しようと、働きすぎが、そのまま不幸に直結することは、まずない。と私は確信する。少なくとも私は、37年間を楽しみながら、仕事をしてきた。仕事がないときよりも、忙しすぎる時の方が、苦労は多いが、楽しみも多かった。会社に所属していた時期も、フリーで働いていたときも、組織を作ってやっている今も、それは変りない。本をつくることにたずさわる人たち、原稿を作る人、編集やデザインをする人、製版したり印刷したりする人、本づくりにタッチするすべての人たちが、つくることに楽しみを持つように、そして、そうした人たちが所属する、出版社や印刷会社は、よい本を、面白い本を、つくろうと努力する人たちが、仕事を楽しめるような職場にしてほしいと思う。

 また、私たちには仕事が即、楽しみであるような還境を選び、つくる努力も必要ではなかろうか。給与と賞与の額にのみ関心を持ち、マイホームに楽しみの目的を設定するのなら、もっと有利な職業がいくらでもあるはずだ。