『E+D+P』は50号で終刊しましたが、多川精一さんは隠遁しませんでした。出版界からは距離を置きながらも、本への愛情をブツブツとつぶやき続けました。そのつぶやきが集められ『()()のつぶやき』(のちに『紙魚の手帳』に改題)として、『E+D+P』と同型の冊子が生まれました。その冊子に、印刷人の目から考えた色のことを書いてみてはどうかと声を掛けられました。

 当時のぼくは仕事をする中で、編集者やデザイナーに対しかなりのストレスを抱いていました。

 しかし、多川さんからの提案で筆を執ってみると、ストレスを感じていた矛先が変わりはじめ、気持ちも変化していきました。技術的に書いていこうとする気負いで、ついつい力が入りわかりにくい文章になっていきました。その度、多川さんに直されました。

 その時の赤字は大切に保存してあります。読み返すと恥ずかしいことばかりですが、ぼくの成長記録として宝ものにしています。

 『紙魚の手帳』27号 に「野の草と木と製版」(2004年7月)が、そして34号に「色ってなんだ」(2005年9月)が載ることになりました。

富成忠夫『野の草と木と』表紙

 「野の草と木と製版」は、多川さんがレイアウトを担当した写真集『野の花と木と』(1978年刊・撮影:冨成忠夫)を見ながら、製版方法の変遷に触れ、印刷物を作るときのコミュニケーションを印刷人の視点から書きました。

 「色ってなんだ」は、面接を受けに来た色覚障がいの青年との出会い、新入社員の「色を見分ける感覚が弱いと感じます」の声を聞き、カラーコミュニケーションを書きました。

 原稿の締め切りが近づいてもなかなかまとめることができずにいると、「(自宅の)ポストに投函しておいてもらえれば必ず読む」と辛抱強く待ってくれました。実際に深夜、車で国分寺のご自宅に投函に行きました。文章を繰り返し読んでくれた多川さんは、さぞかし大変だったと思います。

 ぼくには大切にしている詩集があります。中学校の図書館で出会った矢沢宰の光る砂漠(1969年・童心社刊)です。ぼくは詩とともに、この詩集の写真が好きでした。写真家は薗部澄と言う人でした。それからはこの人の写真を見るようにしていました。日本のふるさとの原風景を撮り続けている人でした。多川さんが東方社の話をした時、「そのべきよし」という名前が出たことがあり、ぼくは驚きました。そして詳しく話を聞いていくと、「薗ちゃんは東方社の同僚。招集されて南方に行ったが、敗戦一年後に瘦せ 細り戻ってきた(多川さんは終戦と言わず『敗戦』と言っていました)。それからは薗ちゃんの写真集は、すべてぼくがレイアウトを担当している。大の親友。」と言われました。ぼくの心の中で不思議な糸がつながったようで、とてもうれしく思いました。

 残念ながら薗部さんにお会いすることはできませんでしたが、『光る砂漠』は不思議な出会いの重なった愛着のある一冊になりました。このノートのアイキャッチ画像が薗部澄さんです。仕事には厳しく、弟子からも恐れられていたようですが、多川さんにはこの笑顔で話をしていたようです。この写真も、多川さんの奥さまからいただいたものです。
(続く)

後記:今後の中で「野の草と木と製版」「色ってなんだ」をホームページにアップしていく予定です。(2021年12月)